「東」「西」「南」「北」のついた地名は、日本でも海外でもたくさんあるが、これは、たんなる地名だけではない。国名にも、「東」「西」「南」「北」がすべてそろっているのだ。まず、一般に意味を広く知られているものといえば、「南の国」オーストラリアだろう。大航海時代、オーストラリア大陸西岸を発見したオランダのタスマン船長は、「新オランダ」と命名し、東岸を発見したイギリスのクック船長は、「新南ウェールズ地方」と命名したが、十九世紀になって、このふたつが同じ大陸であることがわかった。それで、ラテン語で「南方大陸」を意味する「テラ・オーストラリス」と改名。大陸がイギリス領となったのち、この地名も英語に直されて、「オーストラリア」となったのである。語源の古いところでは「西の国」。これはアイルランドである。アイルランドで古代ケルト文化が栄えていた時代、この地は、東のブリテン島に住む同族のケルト人たちから、「エイリン(西)」と呼ばれていた。エイリンは、その後、変転して、「エール」とか「アイル」と呼ばれるようになり、さらに、アングロ・サクソンの支配下に入ると、「アイル」の下に英語の「ランド(国・土地)」をつけて、「アイルランド」と呼ばれるようになったのである。「東の国」もまた、語源が古い。オーストリアのことで、八世紀にさかのぼる。当時、オーストリアはフランク王国の版図で、カール大帝がここに「オストマルク(東部辺境区)」を設置したのが、地名の起源とされている。オストマルクというのは、ゲルマン語の地名だったが、その後、フランク王国の国王はラテン化され、言語もラテン語しか用いなくなってしまった。それで、ラテン語で「アウストリア(東の国)」と呼ぶようになったのが、さらに英語化され、「オーストリア」になったのだった。最後の「北」は、ノルウェー。中世の北方ゲルマン人の通商航路のひとつ、スカンジナビア半島沿いに北上する「ノルレベク(北航路)」からついた名前である。航路だけでなく、航路沿いの地方も「ノルレベク」と呼ばれていたのだが、これが英語化され、「ベク(航路・道)」が、英語で同じ意味の「ウェー」に置き換えられて、「ノルウェー」になったのである。車やバスが到着すると、最初に出迎えてくれるのがドアマンだ。車のドアを開けると、挨拶とともに宿泊(ステイ)かどうか尋ねてくるので、“Ihavereservation”(予約をとっています)などと言って車の外に出る。その際、ドライバーにもチップを忘れずに。次にトランクから出された荷物を確認し、手荷物だけ持って館内に入る。そして、ドアマンがドアを開ける。ここまでが彼の仕事範囲だ。チップを用意しておいて、ドアを開けるドアマンに少し多めにチップを渡しておくと顔を覚えてくれ、滞在中ずっと対応がいいものだ。極端な話、最初だけ沢山あげてもいい。すると顔を見るたびに挨拶してきたり、こちらが言う前にタクシーを呼んでくれたりする。旅先で気分が落ち込んだり、曇ったりもする。だから、到着時の印象が一番大切である。レンタカーなどで到着する場合は、ドアマンにキーを預け、「バレー・パーキング」と呼ばれる車の出し入れサービスをしてもらう。これはホテルのみならず、レストランでも同様のサービスがある。キーを渡すのと同時にカードをくれ、名前をメモする。福岡県は筑前国、筑後国、それに豊前国の北半分からなっている。博多は港町として栄え、室町時代には町衆による自治が発展した。関ヶ原の戦いののちに領主となった黒田長政は博多の西に城を築き、かつでの領地、備前国福岡にちなんで城下町の名としたが、明治になって福岡と博多を併せ市制をひき県庁が置かれた。この福岡の名物は明太子。昔は土産物は日持ちがするものがよいとされたが、流通が発達してくると、むしろ、産地直送でフレッシュなものでないと値打ちがないことになった。かといって、重いものやかさばるものは面倒だという観光客や出張者にとって、板付空港や博多駅で買った明太子は手頃で、しかも、家族に間違いなく喜ばれる土産物として歓迎された。北九州は一九六三年に門司、小倉、八幡、戸畑、若松が合併してできた。名称は公募され、西京市というのが最多だったが、西京は京都を指すことがあるというので二位の北九州が採用された。